東京地方裁判所 昭和54年(わ)2586号 判決 1981年4月17日
A
右の者に対する住居侵入、軽犯罪法違反被告事件について、当裁判所は検察官杉原弘泰出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役二月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
犯行に至る経緯
株式会社洋書センター(以下「洋書センター」という)は、昭和四四年一〇月輸入書籍卸売業者七社、波多野勤子、松井晴嗣及び波多野勤子が代表取締役をつとめる株式会社さいこ社(以下「さいこ社」という)の出資により、輸入書籍の販売等を目的にして設立され、東京都千代田区神田神保町二丁目二番地所在のさいこ社所有建物を店舗兼事務所として営業し、設立当時の代表取締役には波多野勤子及び渡辺正広の両名が就任し、その日常の業務運営は実質上常勤の取締役である松井により行なわれていたが、昭和四九年八月波多野勤子及び右渡辺が代表取締役を辞任(勤子は取締役も辞任)したため、松井が新たに代表取締役に就任し、経営を担当していたところ、昭和五〇年に入って、かねて同社の前記店舗付近に予定されていた東京都営地下鉄線の敷設計画が実現の運びとなったことを契機に、すでに老朽化した前記建物を取り壊して新たにビルを建設するとのさいこ社の以前からの計画が具体化し、これに伴って洋書センターは当面付近の仮店舗に移転する旨の合意が洋書センターとさいこ社の間で成立した。被告人は、昭和四七年二月洋書センターに入社し、昭和四八年六月、当時の正社員の全員である中川京子ほか一名の合計三名で洋書センター労働組合(以下「組合」という)を結成して執行委員長となり、労働条件の向上のため、会社側に対し種々の要求をしてきたが、昭和五〇年三月、前記店舗移転に関し会社側から組合に通告がなされたところ、被告人らは、右店舗移転問題に関し事前の協議が組合との間で十分に行なわれなかったことを不満とし、さらに右移転は移転先が狭隘なため労働条件の劣悪化を招くものであるとしてこれに強く反対し、松井ら会社側代表者との間で数回にわたって交渉を行なったが、右交渉が物別れに終わり、明渡期限が一〇日後に迫った同年五月五日ころ、会社側において抜き打ち的に移転を行なう措置に出たため、これを組合を無視した態度であるとして、同月六日組合を支援する者らとともに旧店舗を占拠し、その際、被告人は松井に暴行を加えて傷害を負わせたとして同月一五日付で中川京子とともに懲戒解雇された。一方、洋書センターは、その後被告人らが約一カ月にわたって右占拠を続け、労使関係が悪化したことなどから営業不能に陥り、同年八月二九日解散し、松井を清算人に選任した。被告人は、組合執行委員長として、店舗移転問題、自己及び中川の解雇問題、会社の解散問題について東京都地方労働委員会に救済の串立てを行ない、さらに東京地方裁判所に雇用契約上の地位保全の仮処分を申請するなどの法的手段をとったが、会社側は、昭和五一年七月二〇日右委員会から右解雇問題、店舗移転問題に関し組合との団体交渉命令を発せられたものの、これに応じる気配を見せず、また右仮処分申請が同年九月三〇日却下されたため、さらに法的手段に訴える一方、昭和五二年春ころからは、洋書センターから名目上は手を引いたものの、真実その実権を握るのは勤子であるとして、組合を支援する者ら数名とともに頻繁に同女の住居等に赴き、会社再開を要求し、そのための団体交渉に応じるよう迫った。勤子は、これに対し、その都度面会を拒み、昭和五三年六月一六日付さいこ社代理人弁護士河村卓哉名義の書留内容証明郵便により、被告人あてに、被告人ら組合員及びその支援者が洋書センターの労働問題への介入要請等を目的として、勤子方私宅を訪問し、電話をかけ、文書を送付するなどすることを禁止する旨通告したが、被告人らがその後も同様の行動を繰り返したため、同年七月一二日河村弁護士名義の右とほぼ同趣旨の書留内容証明郵便を改めて差し出し、被告人らに対し、重ねて面会の意思のないことを明らかにした。
罪となるべき事実
被告人は、昭和五三年八月二三日午後〇時三〇分すぎころから午後三時三〇分すぎころまでの間において、長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字獅子岩二、一四七番一六五の一の波多野勤子が所有し、波多野リボオ及びその家族が居住する別荘の敷地内に、勤子から洋書センターの労働問題等に関し、面会する意思がない旨申し入れられていたにもかかわらず、右問題に関し同女に対して強いて面会を求める目的で入り込み、もって故なく人の住居に侵入したうえ、同家玄関左右の板壁に、所携のサインペンで、それぞれ、「波多野勤子は会社を再開しろ、解雇撤回をかちとるぞ、ハタノビルでの再開をかちとるぞ、波多野勤子の責任をどこまでも追及するぞ! 波多野よ逃亡を止め団交を開け」「波多野勤子はただちに洋書センターの争議を解決しろ!」などと黒書し、もってみだりに他人の家屋を汚したものである。
証拠の標目(略)
住居侵入罪の成立について
弁護人は、被告人の判示立入り行為は、波多野勤子又はその代わりの者に、争議解決、会社再開を求める趣旨を記載した同女あての要求書を交付し、面会応諾の意思を打診するために行なわれた通常の訪問であるとして、住居侵入罪の成立を争い、被告人も当公判廷において、右要求書を同女に手渡すために同所に赴いた旨供述している。
そこで、被告人の本件立入り行為の目的を明らかにするために、まず、被告人らの同女に対する本件までの働きかけの状況及びこれに対する同女の対応について検討する。前掲証拠によれば、被告人は、昭和五二年春ころから洋書センター労働組合を支援する者ら数名の者とともに、東京都文京区内の勤子の居住する音羽ハウスや同女が理事長をしている波多野ファミリースクール等に頻繁に赴き、会社再開、団交応諾を要求して面会を求め、とりわけ音羽ハウスにおいては玄関のドアをたたいて「団交に応じろ」などと大声でわめいて気勢をあげ、「波多野勤子は労働者への弾圧をやめ話し合いに応じろ」「波多野勤子は団交に出て来い」「波多野勤子は洋書センターを再開しろ」「波多野ビルでの洋書センター再開を勝ちとるぞ」などと記載した同女の責任を追及するビラを数回にわたって近隣の住民に配布し、あるいは同女に電話をかけるなどして繰り返し面会を求めたこと、昭和五三年春ころには音羽ハウスの入口横壁ほか一カ所に組合員又は組合の支援者により記載されたと推認される「波多野勤子は洋書センターを再開せよ!」「ハタノ争議カイケツせよ!」との落書がなされたこと、同女は音羽ハウスにおいて被告人らと一回顔を合わせた以外は全て面会を拒絶する一方、被告人あるいはその支援者らの度重なる面会要求に困惑し、長男波多野リボオに苦痛を訴え、相談を持ちかけていたが、同人と相談のうえ、判示のとおり、洋書センターの労働問題への介入要請又は旧店舗跡地に建設予定の新ビルへの入居を目的として、さいこ社事務所、所有建物及び代表者の私宅等を訪問し、電話をかけ、文書を送付するなどの一切の直接行為を禁止する旨を被告人に通知したこと、被告人らはその後も勤子に対し同様の行動を繰り返し、そのために同女は同年七月に完成した新ビルの落成式にも出席できなくなるなどしたため、同月一二日右とほぼ同趣旨の書留内容証明郵便を被告人あてに差し出したこと、同女は昭和五三年三月ころから身体の異状を訴えるようになったが、リボオらが心配して入院をすすめるのに対し、被告人らが病院に押しかけると困るからとしてそのすすめに応ぜず、同年八月下旬に漸く入院したが、すでに手遅れで、同年九月一九日がん性の胸腹膜炎により死亡したことが認められる。右事実に照らせば、勤子は被告人らにより繰り返し行なわれた会社再開等の働きかけに対し、被告人らとの直接の話し合いを全面的に拒絶し、かつ、その旨の意思を明確に被告人らに表示していたことが認められ、被告人においても同女の右意思を認識していたものと推認できる。
次に、本件被害状況及び被告人の本件立入りの状況についてみると、前掲証拠によれば、本件現場は波多野リボオら数名の波多野一族が所有する長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字獅子岩二、一四七番地一六五ほか一二筆の土地(以下「本件敷地」という)からなる別荘用敷地であって、周囲は金網、有刺鉄線により囲繞され、東側に位置する正門から西方約二〇メートル入ったところに勤子所有の木造平家建別荘一棟(家屋番号二、一四七番一六五の一、以下「本件別荘」という)があるほか、波多野リボオほか二名各所有の別荘三棟があるが、昭和五三年夏は勤子が病気療養中のためリボオの一家が本件別荘の管理を任されて居住しており、本件当日はリボオは所用で上京し、その妻ミキ及び長男もたまたま一時外出していた間に、被告人は判示記載の時間内に正門を通って本件別荘付近に至り、判示のとおりの落書をしたほか、縦二五センチメートル、横一七・五センチメートルの便箋様の罫紙にそれぞれ「波多野勤子はただちに洋書センターを再開しろ!」「波多野ビルでの洋書センターの再開をかちとるぞ!」「波多野は組合との話し合いに応じて、すみやかに争議を解決しろ」「波多野は逃亡―争議引きのばしを止め、団交で争議を解決しろ!」と記載したもの四枚を本件別荘内書斎の南側ガラス戸と網戸の間などに差し入れるなどしてその場に遺留し、立ち去ったことが認められる。
ところで、被告人は、本件敷地内への立入り行為の目的及びその状況について、当公判廷において、「勤子は毎年軽井沢の別荘に避暑に行く旨聞いていたので、同女又はその代わりの者に、同女あてに記載した争議解決、会社再開を求める要求書を組合の代表者として手渡すために軽井沢まで行った。波多野側から面会拒絶の通告はあったが、新ビルが完成して洋書センターが入居できる空室も残っており、重要な時期であるうえに、表向きは話し合う意思はないと言っていても、七月ころ、音羽ハウスの住人である津上夫人の仲介で、場所等を設定して、波多野側から話し合いに応じるような意向が示されたこともあったので、条件さえ整えば、話し合いに応じてくれると思っていたし、早急に話し合いを開くことを申し入れるための要求書手渡しが目的だから通告の趣旨にも抵触しないと思った。別荘まで行ってみたところ、家人が不在だったので暫く待っていたが、帰ってこないので汽車の時間の関係もあって、要求書を置て行くことにし、玄関のドアにはさんだが、それだけでは無視される懸念があったので、その場で、所持していたサインペンでビラ四枚を書いたが、だんだん怒りの気持がふくれ上がってきて、玄関の板壁にサインペンで要求を書き、着いてから一時間くらいで帰った」旨供述している。しかし、被告人の供述する要求書については、本件当日警察官により実施された実況見分の際にも発見されておらず、その後の捜査の経緯に照らしてもその存在自体極めて疑わしいが、かりに、真実被告人が右要求書を持参し現場に遺留したとしても、前記のとおりの従前の被告人らの勤子に対する働きかけの態様及び洋書センターが東京都地方労働委員会の団交命令に全く応ぜず、また地位保全の仮処分申請が却下されるなど組合が苦境に立たされていた状況に照らせば、東京から遠路軽井沢まで要求書を手渡すためだけに赴いたとの前記供述は到底信用できないうえ、津上夫人の仲介案も挫折したのちは、被告人らと勤子との間に何らの変化もない状況のもとで、勤子が被告人らとの直接の話し合い又はその前提としての面会要求に応じるとは、それまでの同女の頑な態度、拒絶の状況及び同女が洋書センターの代表取締役在任中においてさえ、会社と組合との団体交渉に一度も出席しなかったこと等に照らして、到底考えられない。前掲証拠によれば、なるほど被告人のいうように、音羽ハウスの津上夫人の仲介により、勤子の四男波多野至郎と被告人らが津上夫婦の立会のもとで話し合うことの提案がなされたことが窺われるが、被告人の供述によれば、右提案も波多野側が至郎の資格を勤子の代理とすることに難色を示したために実現に至らなかったというのであって、洋書センターとは無関係であるとする同女のとる立場がむしろ看取されるのであり、依然、同女の面会拒絶の意思は明確であったと認められ、被告人においても同女のような意思は承知していた筈であるから、自己の来訪が同女の禁じるところではないと思っていた旨の被告人の前記供述も信用できない。
結局、前記のとおりの勤子の代表取締役在任中の組合に対する一貫した没交渉的態度、被告人あるいはその支援者らの同女に対する働きかけの態様、これに対する同女の拒絶の状況、被告人が判示のとおりの落書を行ない、さらに前記のとおり、同女を厳しく追求するビラ四枚を遺留していることなどを総合すれば、被告人は、洋書センターの労働問題等に関し、同女が面会に応じないこと及び自己の来訪が同女の意思に反することを十分に認識しながら、同女に強いて面会を求めることを目的として本件敷地内に立入ったと認められ、このような認識及び目的のもとに他人の敷地内に立入った被告人の行為は住居侵入罪に該当すると解するのが相当である。
弁護人は、被告人の本件敷地内への立入りは、社会生活上通常行なわれる平穏な態様で行なわれたものであるから住居侵入罪には該当しない旨主張するが、被告人の本件敷地内への立入りは、前記のとおり、被告人らの執拗な面会要求が行なわれ、これに対して勤子が私宅等への訪問禁止を書面で通告するという両者間の緊張関係が現存する状況のもとで、同女が面会を頑に拒絶していることを十分に認識しながら、強いて面会を求める目的で行なわれたものであって、右の面会要求は、それまでの被告人らの同女に対する働きかけの態様とこれにより蒙った同女の苦痛等を考慮すれば、それ自体、同女に対する威迫的な行為であると認められ、このような目的のもとに他人の敷地内に立入った被告人の行為は、その立入り行為がたとえ外形上平穏な態様で行なわれたとしても、住居侵入罪に該当すると解されるので、弁護人の主張は採用できない。
法令の適用
被告人の判示所為中、住居侵入の点は刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、軽犯罪法違反の点は同法一条三三号に各該当するところ、右の住居侵入と軽犯罪法違反との間には手段結果の関係があるので、刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い住居侵入罪の刑で処断し、その所定刑中懲戒役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により、これを被告人に負担させることとする。
弁護人の主張に対する判断
弁護人は、検察官の本件起訴は、起訴価値を有しない事案について、労働組合運動に対する弾圧目的のもとになされたものであって、公訴権の濫用であることが明白であるから、被告人に対する公訴を棄却すべきである旨主張するが、被告人の本件犯行は、さきに認定したとおりであって、起訴価値がないとはいえず、また、検察官が労働組合運動に対する弾圧目的のもとに公訴権を行使したと窺わせる形跡は証拠上全く認められないので、弁護人の主張は理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 神垣英郎 裁判官 江藤正也 裁判官 三好幹夫)